カテゴリー「Farewellいってらっしゃいビーダラちゃん」の記事

2008年3月15日 (土)

Farwellビーダラちゃん(10)最終回

 315ちょうどビーダラちゃんがニライカナイへ行ってしまってから一年が経とうとしている。何も変わったことはなかった。ぼくらのスタイルはいつもこうだった。
 
 今時、携帯電話なんてモノがあって、ダイヤル、いや、プッシュボタンを押せば、ビーダラちゃんが帰ってきてるかどうかすぐにわかるかもしれないのだけど・・・・時には文明とやらの発達は寂しさを助長させるものらしい。

 そのようなことを、のんびり考えてたら、ピーターから電話が入った。ピーターは横浜でウオッチタワーにのぼり双眼鏡で街全体を毎日見渡している、まるでディランのようなやつなのだ。

 いや、ピーターをからかってる場合じゃない。ピーターはビーダラちゃんが関内にあるトルコ料理店「ヒラけゴマ」の前をうろうろしてるのを双眼鏡で偶然発見したというのだ。
「えっ!ピーター、ビーダラちゃんに、たしか一回しか会ったことないじゃない」
「でも、彼女、前足のない猫を抱いてたから・・・前足のない猫なんてそんなにいないから、まちがいないよ。やっぱし」

 ヒラけゴマは、いうなれば「穴」の一方の入り口なのだ。「穴」は・・ソリャ・・ボクの意見ではニライカナイへ通じてるに決まってるのだ。ぼくは心配になって生暖かい雨のなか車を走らせた。


 ぼくはピーターにきいたトルコ料理店「ヒラけゴマ」をなんとか見つけ出し、扉の前の舗道で「ヒラけゴマ!」きっとニライカナイへの秘密の扉がどこかでぱっくり開くはずだ。大声で何度も叫んだ。でも・・・無駄だった。でも、あきらめずに・・・考えた。「うん、この島国言葉で『ヒラけゴマ』なんていってっから開かないんだ!」
「アラビア語!『ヒラけゴマ』なんていうんだろ?」騒々しい叫び声に驚いた店主は、なあんだ、手で硝子の扉を開けて店から出て来た。おまけに、「私トルコ人、アラビヤ語わからない!」と肩をそびやかす。
 
「とほほ」きっとこの様子をウオッチタワーの上から双眼鏡で見ていたピーターはつぶやいたに違いない。

 ぼくは落胆して街をうろついた。うろうろしてると雨が強くなり、金曜日で横浜美術館は8時までやってて、「ゴス」とかいう企画展をやってて、吸い寄せられるように入館してた。骸骨なんかがいっぱい飾ってあって、暗い気持ちになったけれど、常設展に江戸時代の富士山の版画が何葉か展示されていて目が止まった。それは、富士山の溶岩洞窟(穴)の中へ這いつくばって進む、たぶん「金剛トラベル」の社員を戯画化したものだった。「穴はやっぱし、ニライカナイに通じている!」

 「とほほ」きっとこの様子をウオッチタワーの上から双眼鏡で見ていたピーターはつぶやいたに違いない。

 帰ってきてる・・・確信はしたものの、肝心なビーダラちゃんは見つからないし、アラビヤ語の「ヒラけゴマ」が突然ぼくの頭にひらめくわけもない。雨のなか、しょぼくれて、関内駅前の中華料理屋で、なれない中国のお酒を飲む。ああ、トルコ料理店の親父も、落胆したぼくにトルコ焼酎をおごってくれてたので、インターナショナルな焼酎がおなかのなかで撹拌されて、結局しょぼくれたままお店を出た。外の雨足は激しくなっていた。

 万が一ビーダラちゃんに会えたら渡そ!家から持ってきていたアルフォンソ・リンギス「信頼」の”ラブジャンキーズ”という章のコビーを、いきおい舗道に投げつけた。雨に打たれ人々に踏まれぐちゃぐちゃになってく「信頼」を見てるうち、ぼくはしばらく金縛りになったけれど、一枚そのぐちゃぐちゃなコピー用紙の「信頼」を写真に撮ってその場をなんとか離れた。

 「とほほ」きっとこの様子をウオッチタワーの上から双眼鏡で見ていたピーターはつぶやいたに違いない。

 ぼくは、きっと二戸に行こうとしてた。ぼくはビーダラちゃんが帰ってくるようなことがあるようなことがあるとすれば、きっと二戸の桂の観音堂の「大穴」にあらわれると思うからだ。

 

・・・今日は315・・・夢を見たのかもしれない。
・・・Farwellビーダラちゃん最後の日まで・・・・・・・・・・・・・・・・・

2008年3月 9日 (日)

Farewellビーダラちゃん(9)

 ウンチのあるお話(ダンスマスターに提出した作文)

 「ハイスクール時代、ぼくは、級友達となかなかうまく繋がることができず、その憂さを晴らすように授業が終わる60分ごとに階段を駆け上がって屋上に行き、空に向かって吠えていました。半年間そんなことを続けてるうちに具合は悪くなる一方で、とうとう学校に行かなくなりました。離れの部屋にこもっているうち、固形物はのどを通らなくなり食事は哺乳瓶につめてもらった流動食のみになりました。そして次第にトイレに行かなくなり、流動食のゆるい排泄物のそのおぞましいにおいの海の中で体を丸めて幸せな一日を過ごしましていました。
 しかしその期間もすぎてしまうと強烈な得体の知れない不安にかられるようになりました。いてもたってもいられず裸になってその黄色い液体を体や顔になすり付けることを繰り返しました。さらに壁という壁に汚物をなすり付けました。
 その頃でした、幼い頃いつも一緒にいて、しかし遠くに引っ越してしまって離ればなれになっていた友人が突然訪ねてきたのです。そして、部屋に入ってくるや仁王立ちになってくそまみれの壁を指差して『ダニー、こんな、壁いっぱいのまっすぐな黄色い直線を引けるのはお前しかいない!』」

 その友人、雷(ライ)は今はもう死んでしまった。死んだあと彼の妹が教えてくれた。「兄は未成年の頃、ある殺人事件にかかわって、それが原因で3年間部屋から一歩も出なかったんです。」

 ぼくは、その友人の導きでようやく世の物々や人々とすこしづつ繋がることができるようになっていった。

 兄貴からまたメールが来た。
「ダニー、その話はお前が山折哲雄さんの『神秘体験』(主にレインの著作を引用した部分)をパクった話だったよね。ダンスマスターはそんなことは先刻ご承知だったけれど、お前を暖かく向かえてくれたんだったね。ただ、雷がお前をすくってくれたことは真実だ。雷はお前の中で生きてるじゃないか‥‥くよくよするな。
 それから、ベネディッタ・カルローニについては書かない方がいい。無理はするな。お前には無理だ。もう少し、真剣に、トランス、カタルシス、エクスタシーについて考えを深めなさい。ぼくの、ブラジルでの興味も主にそれらのことに関連している。」

 あの本は兄貴の本棚から拝借したものだったっけ、兄貴はなんでもお見通し、だんだんミサキ様ににてきてる。

 

Farewellビーダラちゃん(8)

 ああ、ボクとビーダラちゃんの出会いは、ずいぶん古く、おどろくことに、いまさら、この散文を書いていて気づいたのだけれど兄貴がビーダラちゃんを知るよりづっと前に出合っていたということになる。

 当時ぼくらはそれぞれにあるダンスマスターに興味を持っていた。このダンスマスターは地上のありとあらゆる場所に芋虫のように這つくばったり胎児のようにサナギになって転がる。ということを繰り返していた。

 ぼくは、ダンスマスータが3時間もの間黒い殻(いや、ただ自身を黒くニッガーに塗っただけだったけれど)をかむってピクリとも動かず、ただエネルギーだけを発散し続け「心の目を持ってみよ」とでもいってるかのようなパフォーマンスを目撃して、あのサナギの中でうごめいているに違いない(彼の?)胎内瞑想とでも云うべきダンスマスターの思想を覗いてみたいと思った。

 ビーダラちゃんは、その後のエピキュリアンスタジオ(性善者スタジオ)での別のダンスを目撃してスクールの門を叩いた。それはボクの目撃したパフォーマンスの次の階梯にダンスマスターが突入する瞬間だった。アフリカのドラムマジシャンの手を借りてサナギを脱ぎ捨て、「天に向かって破れそうなくらいそらされた胸を手で抉り自身の心臓をつかみ出し大きく空中に振りかざした掌にのせ、『くらえ!』と、なにかに向かっているのか叫んでるみたいだったよ〜」

 僕とビーダラちゃんはそれぞにダンスマスターが無償で行っていたスクールの門を叩いた。

 当時、そのスクールに通うことが許可されるためには簡単なイニシエーションをへなければならなかった。入園を希望するものたちは、「私の恥ずかしい身体について」というダンスマスターが指定した題で書いた作文の提出を求められた。そして作文は入園を許可されたものたちすべてが閲覧可能とされていた。(卒業の際には別のイニシエーションが準備されていて、卒園者の体を横たえるべくもない特殊なシチュエイションの小さなスポットに目隠しされて誘導され一晩をあかす‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ああ、ぼくらのあとにはその捨て置かれた時間がだんだん拡張されたようだけど‥‥)

 とにかく、ボクの作文は、排泄についてだった。排泄といっても汗や尿や精液ではなく、排便について綿々と書き綴ったものだった。

 ビーダラちゃんの作文は「私はリングをしています。」という書き出しでてはじまるものだった。「私は素直な男の子が好きです」そして素直なお男の子の気持ちが私に伝わったとき、できるだけ私も素直な気持ちでうけいれたい。だからリングをしてます。
 当時ぼくは、その字体、プライマリースクール低学年の子が「書き方」の授業で3重丸もらえるような原稿用紙の升目いっぱいにおおらかに書かれた、字体と内容のギャップにたじろいだ。

 ともかく、ぼくらは知らず知らず、ダンスマスターの術、策略に引っかかってダンスの第一階梯エクスタシーについて語らせられていたのだった。
 
 ただ、同じエクスタシーでもビーダラちゃんのは、上昇するエネルギーのエクスタシーだ。それに、セックスには相手がいる。既にビーダラちゃんは一つ先の階梯にいたのだ。ぼくのは、たとえ人を食ったとしても、その食人はボクにとってコロッケを食ったのと変わらない食人だったといえる。その頃のぼくのウンチにはに人格は関与していない。ただのコロッケのウンチだった。

 ボクのは下降する単なるエネルギーの排便による快感について単に書いたものであって、今でも兄貴に「お前は子供の頃とちっとも変わってないなぁ〜」と嘆かれるけれど、作文を書いた当時とエクスタシーに関する階梯は今も同じ位置にある。といっていい。
 もっとも、もっとずっと先の階梯に行き着いていたら、この上昇的エクスタシーも下降的エクスタシーもホトンド変わらないと認識できるものなのかもしれないと想像はするのだが・・・ぼくは、一足先にダンスマスターのスクールを出てしまっていた。

 

2008年3月 5日 (水)

Farewellビーダラちゃん(その7)

 ああ、ビーダラちゃんとおっぱいのことを前回さんざん書いたけれど、ネタ本は「アルコール中毒」現代思想1982年10月号の中の幾つかの論考だった。
 
 ボクは10年前くらいに自分自身のアルコール中毒を克服しようとしてその本を買ってもっていたのだが。この本を読んだからといってアルコール中毒が治るというものではなかった。ビーダラちゃんと10年ぶりに再会して急に昼間っからお酒を飲むようなことはなくなったのだ。・・・「諸行無常の響き有り、ゴ〜ンゴ〜ン」

 それから、金剛トラベルの歴史については、書き方、スタイルはどうも広瀬隆「持丸長者」に影響されてたみたい。

 「諸行無常の響き有り、ゴ〜ンゴ〜ン」

 近頃アルフォンソリンギスという(メルロボンティーなんかを英訳した人)「なんじの敵を愛せ」(自分の力を浪費する哲学)を途中まで読んでおもしろく、読み終わってないのに、彼の「信頼」(それは未知なるものに飛び込むこと)を買い読み始めた。

 「信頼」は、次なる一文によってはじまっていた。「<まえがき>ー熱帯雨林を歩いているときに、一輪のランに出あう。ランは花びらの震える輪郭をわれわれの前に開き、その色合いと輝きでわれわれの目を遠慮なく満たす。そのランについて、事前にどれほど完璧に説明されていたとしても、この目で見た瞬間には、衝撃と、驚きと、発見がある。」

 また<リング>という章p61には、次のように述べられている。
 
 「その昔、あらゆるものが意味を持たない時代があった。当時、赤ん坊だったわれわれは、手をのばして母親にキスし、乳房を吸った。手をのばし、差し出されたものや、遠くに見えたものに触れ、顔を隠し、あるいはわれわれに触れるものから手を引っ込めた。生後数日でほほえむようになったときから、われわれの身体は「表現」によって活気づいたーにこやかな笑顔、しかめ面、ふくれ面、眉をひそめ、泣き、手を振り、まもなくそれにダンスと驚くほど多様な発声が加わった。これらは心に感じた意味を表現しているわけではない。これから身体が行う接触を予期し、身体がかつて行い、もはや行っていない抱擁に戻り、身体と、ものや出来事との結合を遅らせたり早めたりし、それらの物事や出来事を切り離し、結びつけ、位置づけ、区別する。われわれの喧嘩は、その意味で「表現的」だ。今日でも、議論は戦いによって決着する。とりわけ、勇気、名誉、忠誠心、愛の誠実さと強さに関する議論はそうだ。

 それからまもなく、われわれは音で物事を指し示すようになった。まず最初に、それをよこせとか持っていけと、うれしそうに示したり、命令したり、続いて、細々したことを示した。
 次に言葉を覚えた。言葉はものと切り離された意味を指示し、われわれは物そのものがない状態で言葉を使った。ここの言葉は横にある、他の言葉からなる星座に言及し、そこにはもとの言葉と対比的な言葉が含まれる。例えばフォークはスプーンではないし、ナイフでもない、というように。それらの語は、おのおの更なる星座に言及する。そのフォークで遊んではいけません。けがをしますよ。それらの言葉をめぐる輪(リング)が、その言葉の意味を決定し、それぞれの言葉を巡る言葉の輪が、それらの意味を説明する。この次第に関連を含めてゆく言葉と意味のシステムは、われわれと物や植物や動物と行った書力との間に網目状のフェンスを広げる。」

 リング・・・金輪・・・指輪・・・・避妊具・・・・
 
 ああ、兄貴のことを少しばかり‥‥

 兄貴は、心臓に重い疾病を持ってこの世にやってきた。「かわいそうですが、この子は30歳まで生きれないでしょう」と主治医にいわれたと母がそっとはなしてくれたことがあった。
 
 あまり裕福な家庭でなかったから、母は知り合いの寺院にその重い病気を背負った子を預けた。兄貴はそこで発声法を学んだ。未だに、その疾病の治療法は皆目見つかってないのだが、発声法のおかげかどうか‥なかなかに元気。

 兄貴はブラジルで、ある種のダンスにまつわるドキュメンタリーを撮っている。きっかけは、ある事件だった。30年以上前そのダンスを創造した教祖は、世界中のお金を刷っている美国の大統領の知るところとなり、その官邸であるブラックハウスの中庭でデモンストレーションすることになった。

 教祖は高さ20メートルのクレーンから蜘蛛の糸のように垂れ下がった一本のローブに踵を縛り身を任せ、さながら胎児のように白いサナギのように空中に逆さにぶら下がった。

 事件は、そのデモンストレーションの佳境に起こった。クモの糸ならぬローブが突然断裂し、教祖は地上に落下した。兄貴が驚いたのはその逆さに落下する教祖が頭から落下する15メートルの間微動だにしなかったことだった。

 事件の後、教祖の配下は四分五裂しおおくのものが、アマゾンの密林に姿を消した。兄貴はしばらくその人たちの行方を追っている。

 同行のマリーナは、ネイティブブラジルで、彼女の名が示す通り「水」を主題にしたやはりドキュメンタリーを数本撮っていて、ある作品「TEMPORAL」の中にうつっていた教祖の配下を偶然兄貴が見つけた。ということらしかった。

 もちろん、彼女との仲介はミサキ様にお願いしたらしい。まったくミサキ様は風のような方だ。

2008年3月 1日 (土)

Farewellビーダラちゃん(その6)

 そんなわけで、ぼくは、ビーダラちゃん‥ずいぶん昔から、いや、生まれてからづっとかもしれない‥‥‥ニライカナイに興味があったんだ。と思うようになった。

 ひさしぶり兄貴からメールがあった。兄貴のトニーは長期滞在してるブラジルで、マリーナっていう若い映像作家と協力してドキュメンタリーに取り組んでいる。マリーナと兄貴がうまくやってることが微妙にビーダラちゃんの不安定と関係してたかもな〜

 ビーダラちゃんはニライカナイ旅行壮行パーティーでだされたサボテンのお酒(ニライカナイのテキーラはメキシコのテキーラと違って蒸留酒ではなく発酵酒なのだ)のことをすごく気にしていたのだ。

「おはよ、先日、儀式における「お酒」の意味にについて、エクスタシー、ヒョウイを与える力(ギリシャのディオニュソスなんかをイメージして)のようなことを書き送りましたが、少し訂正です。この島国一般の儀式にお酒がつきものなのは、その儀式を一般化していえば、「死と再生」変生の儀式という側面があるからのようです。お米を、いったん腐らせる(死)エクスタシー(超能力)を与える酒として(再生)する。ということでしょう。似たものに蛇、脱皮(死)、毒(人を殺せる超能力)を持った蛇として再生。青虫、サナギになる(死)蝶(空を飛び回る能力、美しさ)として再生。そして人間の場合(どこから来てどこへ去ってゆくのかという)には、サナギの形態や繭などのようなものを、胞衣や子宮として想定していて、深いところで関係しているとおもわれます。
 つまり、その再生に向けて闇の中で(仮死または冬眠、または子宮内の至福)の期間が想定されているのです。」

 しかし、ビーダラちゃんのお酒へのあの極端な傾斜はいったい何んなんだろう?「おさけやめよっかな〜」と時々言い出すのはその裏返しで、実は今回のツアーも「禁酒のきっかけになれば」という思いがビーダラちゃんにはあって、あったにもかかわらず壮行会に出向いたら、いきなりテキーラがまわされた。その理不尽さがどうしても気になってショウガナイということらしかった。そんなのビーダラちゃんにしか通用しない理不尽なのにもかかわらず‥‥‥
 
 考えれば考えるほど、お酒は結局ビーダラちゃんにとっておっぱいなんだって気がしてくる。
 
 問題なのは、お酒はビーダラちゃんにとって<お母さんの乳房>ではなく<単なる乳房>だったんだということだ。生まれたてでこの世で知ってるものは暖かく愛情深い絶対とも宇宙ともいえるおっぱい、だけど生まれて一月もすると、ときにはそのおっぱいは、人格をともなって<お母さんの乳房>へと変化する。お母さんの体調や気まぐれによって出なくてイライラさせることもある。ビーダラちゃんのおっぱいはうぶなおっぱい<単なる乳房>であって、両面を持つ、人格としての、最初の他者としての<お母さんの乳房>ではなかったんだ。

 そういえば、ビーダラちゃんは二戸のお母さんについて多くを語らない。ただ「複雑なのよ〜」とだけ‥‥‥‥‥ただ、ぼくが思うのはビーダラちゃんのお酒は「複雑なのよ〜」というような理性的な理由付けとは意外にかけ離れたところと、ビーダラちゃんの普段意識にすらのぼらない原風景ときり結んでるような気がするのだ。

 きっと、それと同じセンスで今回のニライカナイ旅行は生まれた時からビーダラちゃん能味噌に指令が書き込まれていたかもしれない。

 また、仮にそうならビーダラちゃんはお酒に絶対的な愛を求めているのだということになる。だから時々禁酒宣言したりする。逆説的に絶対的な愛を失いたくないがために‥‥お酒はそういう意味で絶対的な愛(理性のレベルを超えた)なのだから、そのお酒の席でお酒によって絶対的な信頼が裏切られると(ビーダラちゃんにとってお酒は単におっぱいなのだから必ずお酒に裏切られるに決まってるのだ)手の付けられない疑心に苛まれ鬼神と化す。

 そう考えると、あんなに仲のいい二人なのに、兄貴の悩み「あいつのあのかたくなさは何なんだろう?」は、ビーダラちゃんの兄貴によせる絶対的信頼の裏返しかもしれない。

 でも兄貴は南半球で、あいかわらず・・「死と再生」とかいってる。ああ、なんだかビーダラちゃんがほんとにいとおしく思えてきた。
 
 

2008年2月29日 (金)

Farewellビーダラちゃん(その5)

 「金剛トラベル」の営業理念、密教儀礼に迫るために「邪教立川流」を読んでみた。どうしてもぼくの興味がセックスの方にむいてしまうのは、たぶんビーダラちゃんをつれてってしまった「金剛トラベル」の営業マンへのジェラシーのためだと思う。

 ああ、兄貴は口癖のようによく独り言をいう「世の中にケチとジェラシーほど悪いものはない。諸行無常の鐘が鳴るゴ〜ンゴ〜ン」と‥‥‥‥


 一説には中世において、「金剛トラベル」から切り離された「立川トラベル」の最盛期真言密教のお坊さんの8割がこの邪教立川流の影響を受けていたという。
 立川流の本尊とは墓場から拾ってきた髑髏に男女のセックスの際の愛液をぬり金箔をはり、これを120回繰り返した金色に輝く本尊、金色のシャレコウベだった。そして、この時代とは「金剛トラベル」が、真言密教、天台密教の傭兵として凌ぎながらその密教教学を取り入れていた時期に符合する。

以下は「邪教立川流」真鍋俊照著 2002年 ちくま文庫刊よりの引用です。


 「ではなぜ死者の頭部(髑髏‥引用者挿入)にこだわるのだろうか。日本では古代から他界の神話の一つとして、『古事記』の、陰(ほと)を焼かれて死んだイザナミを伯耆の国と出雲の国の境にある比婆の山に葬ったあとに、イザなギが死んだ妻を黄泉の国に訪ねてのぞきみした記録がある。ここでは人間の身体全体に八つの雷神が宿っていることを確認することになるが、最初に「頭には大雷居り」と出てくるように頭部がもっとも重要な雷神が宿っているところとして位置づけられている。もし舎利と髑髏が同じ世界観(他界感も包摂して)の中で同質の人骨とする位置づけが成り立つならば、同じ条件において不老不死の他界感を作り上げ、その存在を主張することになる。

 その延長線上にあるのが、古代死生観を反映した「殯(モガリ)」という風習であろう。殯は人間の死体を墳墓に埋葬する前に仮安置し、その前で種々の儀礼的行為をおこなうことも含めていう。これは古代日本人の中にある生者と死者の間に連関を認め他界を身近なものにしようとする、死を生の終焉としない意図が働いている。「殯(モガリ)」は人が死んでいても「生でもない死でもないその中間状態」(武見李子「地獄思想と女人救済」)ととらえられているが、これには立川流の髑髏本尊もまた死を絶対的な終わりとは見ていないところと共通観念がある。よくいわれるように死んで四十九日は罪穢を祓ったり浄化しようと刷る行為が儀礼化されている。その長くて短い時間帯は死者が中有(死んで次の生命を受ける期間)の状態にあることを示しているが、私は密教ではここに再生のヒントを得ているのではないかと思う。つまり中有にある状態はある意味では(見方によっては)人間(生身)ではなくて既に如来になりきっていると実感するのである。

 南北時代に活躍した東寺の杲宝(1306~62)は『理趣釈匹亜鈔』を著わしているが、その中で一切如来が得た完全な悟り、現等覚(アビサムボーデヒー)からさらに四仏を出生するという解釈を打ち出している。「四仏を出生する」ということは、
 金剛界では東西南北に阿閦・阿弥陀・宝生・不空成就を
 胎蔵界では同じように宝幢・無量寿・開敷華王・天鼓雷音の四方四仏を配して法界(宇宙あるいは地水火風識の六大を法界の主体とする)を占有する意味を持っている。立川流の冥合・交会はこのことを意識しておこなわなければならないということになる。

 髑髏に金箔、金箔貼りあわせる回数を略分として五重6重、中分として十三重、広分百二十重行い、その間に阿閦梨は、女人との二渧を塗り重ねるという。この実感はおそらく本尊観として単なる肉身の再生を意味するのではなく宇宙空間を超越した法界の支配(生き続けること)という積極的な回路のようなものも秘めている。そしてこの回路は別の方面から、出羽三山(月山、羽黒山、湯殿山)などの修験の中における二つの股木を大地に打ち付ける儀礼「股木さばき」に少なからず影響を認める。これは男根と女根の交合のシンボライズである。修験道では次いで長床にござを四つ折りにし、その上にあぐらを組む、と「擬死再生の信仰」で説明されているが、戸川安章氏はその姿を「父母の胎内からほとばしり出た赤白の二渧が、まじり合い、母の胎内に安定した様子」(「修験道における死と再生の儀礼」)ともいっている。

 問題はこのような儀礼行為が、作法のはじめられた時点で意識的・意図的であったかどうかである。密教や修験の儀礼の多くに、行者を自然の空間の中に落とし込むものがあるが、これは生まれてくる母の胎内での運動・動作そのままに現実でも順応して生きているそういう経験をふまえて人間は死後、次の生を受けるまでの中有を設定するということができるように思う。このようなエロスと死(タナトス)を結びつける密教儀礼の図が、『臨終秘決』である。

 また羽黒山へ入峰する前夜、勤行があり十念(念仏)が授けられるが、これは頓証菩提といい、中有を脱する目的がある。そして入峰の次第になると、まず笈の前面に小型の鳥居をたてるのは、陰門を開いた形であり、先達が梵天を加持して、ア・ウンの声とともに前方になげうつのは、愛語を発することであり、この瞬間、赤白二渧は和合する。この段階が和合の位であり、続いて成肉のくらいで胞衣に包まれる。このことは山を女身と見なしているといえよう。p99〜103

このなが〜い引用によってわかったのは、「金剛トラベル」の名前の由来だ。つまり「金剛トラベル」では世界を金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅でかんがえ、その合体が目指すべき究極の世界なのだ。山伏は金剛原理(男性原理)、その業場であるお山は胎蔵界原理(女性)ということになり、したがって、その業場であるお山は女人禁制ということになる。(女と女の反目は最悪であるのは一般の社会とかわらない)
したがって、業を終え山から下りた直後の山伏に精進落しというセックスパーティーが用意されていたのもうなずけるのだ。

 確かに、現在の「金剛トラベル(株)」の社員の中には女性はいないのだ。

2008年2月28日 (木)

Farewellビーダラちゃん(その4)

 ぼくにとっては、なぜビーダラちゃんが「金剛トラベル」を選んだのか?が大問題なのだけれど‥‥
ビーダラちゃんは突然「金剛トラベル」をえらんだ印象があったのだけど、よ〜く考えてみると意外に、いくつか思い当たることがあった。最初に思い出したのは‥‥‥‥

 1)ビーダラちゃんはチャーちゃんという前足が生まれつきない三毛猫を育てている。で、何年か前、唐突に「私今度富士山の山頂でアルバイトすることになったんだよぉ〜チャーちゃん2週間でいいから預かってくれない?」「えっ?犬のクロちゃんがいるけど‥‥いいよ。でも、そっちが富士山山頂にいるうち、登ってこうかな?」「・・・」で、ホントに登ってみたのだけど「ほんとにきたの?チャーちゃんほっぽらかして?」けんもほろろ、山頂でマルちゃんの赤いキツネ喰っただけで追い返された。

 「金剛トラベル」の中世から近世に掛けてのヒット商品の中に、「普陀落山ツアー」というのがあった。これは、富士山にあるらしいニライカナイかないを体験するというツアーだった。ツアーガイドは山伏さん(修験者)さんだった。
 いい想い出だったのだが‥富士山→修験→「金剛トラベル」→ニライカナイ何だか妙なつながりが感じられる。それに、そうだとすると、ビーダラちゃんは既にニライカナイツアーを過去に体験していたことになる。
 ぼくもその入り口あたりまでそうとは気づかずに行っていた可能性があるのだ。

 2)それから、ビーダラちゃんの極めつけの友人というか保護者のような大坪繭子さんという人がいる。いわゆる東洋医学セラピストなのだが‥‥‥
 谷川健一「四天王寺の鷹」という、古代物部師と秦氏の繋がりについて研究している本をめくっていて気になる文に行き当たった。
「この大坪という地名は宇津保の訛で「うつぼ」は矢を持って腰に背負う用具で‥‥‥「靭」(うつぼ)は「靭」(ゆき)とも読む。弓削は「和名抄」で「ゆけ」と清音で読ませている。そこで「弓削」と「靭」とを同一視して。弓削氏のこととすれば、味真野の大坪に弓や矢を制作する弓削の民がいたことになり、そこが弓削物部の所以の地であって、傍ら漫才の職を営んだということも推測される。山一つ隔てた谷に水間村があることも気にかかる。」p239
(谷川さんは、物部氏は筑後に起こったとし、その下流にある水間の君も物部阿遅古連を祖とすると旧事本紀に出ているという)
 
 秦氏は仏教、密教の伝来の以前から佛教に関連し、しかも政治の外側(または傍系)で勢力を保ち続けた不思議な氏族だ。九州宇佐の八幡(秦)神(呪術系の神、新羅のファンランの影響があるのではないかと谷川さんはいう)
 北九州出自の物部氏→青銅器金属集団→葛城→国栖→長脛彦→製鉄族に追われ奥州二戸に拠点を構える。
 大坪繭子の「繭」の方なのだが、「金剛トラベル」のニライカナイ体験ツアーでは、まず、パーティが模様され(イニシエーション)それを通過したものにだけチケットが渡される。その後、第二の準備段階があって、お籠りする。暗い小さな部屋に100日閉じこもったり、それを簡素化した場合には「繭」にはいるのだ。この過程を「金剛トラベル」では、サナギとよびならわしていた。
 芸能と金属民→イニシエーションでのマリックさんのマジックをおもいださせる。これは重要な手がかりだ。

 3)ビーダラちゃんには俗名があるのだが、その名が、アイヌ語で桂の木を表す言葉であること、その名付け親が、奥州二戸の生まれだったこと。→二戸の「桂の十一面観音像」
 また、通り名のビーダラについては、やはり奥州に「ビーダラという音を立てて屁をこく観音様」という昔話が残っている。

 4)カツラギ(桂)一族であり「金剛トラベル」の創始者であるエンノオズヌは少なくとも金属(たぶん銅)にあかるかったこと、物部氏が鉄器金属族に追われて奥州に落ちのびる時、随伴した可能性が高いこと

 謎は深まるばかり‥‥‥

Farewellビーダラちゃん(その3)

 さて、キリストさんの暦で1000〜1100年頃には、このエンノオズヌの意志を継ぐものたちは、「金剛トラベル」を分社化して密教二大宗派のそれぞれに潜り込んだ。天台系(本山派)は聖護院を中心に,真言系(当山派)は醍醐寺三宝院を中心に活動するようになった。しかし未だともに発祥の地、吉野・金峯・大峰・熊野一帯は根本営業地域とした。

 当時の「金剛トラベル」の業務は貴族、王族、大寺社等の警備会社にかわっていた。警備といっても内実、傭兵であって、その意味では自衛隊が民営化されようとしている現代の100歩も1000歩も進んだ営業だったといわねばならない。

 また、この間、密教取り入れに専心し「金剛トラベル」の営業理念の確立に余念がなかった。また、密教の取り込み研究の過程で、傍流の「立河トラベル」が切り離されている。「立河トラベルは」、風俗レジャー産業を担当していたが、その営業内容があまりにきわどかったので「金剛トラベル」としても連結子会社からはずさせざるを得なかったようだ。(この立河トラベル、については次回少し述べようと思う)

 キリストさんの暦で1200年から1500年頃には、「金剛トラベル」は傭兵事業とその利益、人脈によって獲得した全国各地の山に「金剛トラベル」営業所を設けた。そのおもなものは津軽の岩木山,出羽三山,日光二荒山,筑波山,秩父三峰山,富士山,御岳山,立山,白山,石鎚(いしづち)山,英彦(ひこ)山などであった。 一度は頓挫したエンノオズヌの創業時の事業だったが、これらのお山の登山ガイドひいてはこれらの拠点をネットワークした観光事業として復活した。

 キリストさんの暦で1600年から1800年頃、ようやく戦乱の世の中を徳川家康が平定して戦争のない太平な世になってしまったので、「金剛トラベル」の主力事業であった、傭兵事業が壊滅してしまった。また家康がおこなった宗門人別改めによって人々は必ず寺の檀家として登録しなければならず、境界民、店を持たない行商人、旅職人、海民、旅芸人、旅職人など、主な「金剛トラベル」の顧客や事業への主力投資家層も「金剛トラベル」から離れてゆくものが多かった。

 全国規模での展開は不可能になってしまった「金剛トラベル」だったが、いまだ財力の残っていた地方の各お山の営業所は独立し、主に創業者以来の鉱山技術を応用して新田開発事業に取り組んだ。

 また、この世の趨勢の中でリストラされたおおくの「金剛トラベル」社員は、新田開発の中で付き合いのできたそれまでどちらかというと往来が頻繁でなかった稲作民に溶け込み、小さな診療所のようなものを作り拠点として、民間治療(密教原理によるセラピーと創業以来の伝統である草木鉱物に知識を応用した薬)をおこない、傍らお山の旅行代理店として生業をいとなんでいた。

 1800年代も後半になると黒船による脅威のもと地方に分権化されていた島国を改めて一つに束ねて黒船国に対抗しなければならないという機運がこの島国に生まれた。「一つに束ねられた」その目に見える象徴は、零落しながらも細々続いていた古来の王家であり、その精神的支柱として「国家神道」というものが新たに生み出された。八百万の神々が国家神道のもとにそのような意図を持って再構成された。

 あっ「金剛トラベル」営業理念だけれど、途中で、密教といういわゆる「外来の」仏教に根本的に再構成されてしまっているけど、創業以来山野を駆け巡り草木に親しみ鉱物や気象に通じ原初の意味で<人格化される以前の神>精霊に通じていた。なおかつ、それが二つのもがアマルガム化して稲作民の中にまで広まっていた。

 新しい王権としては、王家を中心とした擬人化された「八百万の神思想」で国家をまとめようとしていたのだから、「金剛トラベル」の営業理念の中に、その新しい国家の中心理念「国家神道」八百万の神と「外来の」仏教(密教)を混ぜこぜにしたもの(いわゆる神仏習合思想)をいつまでも振りまかれていては困る。

 どれほどこのことが新しい王権にとって重大なことだったかは、新しい王権政府が発した第一号政令が「金剛トラベル打ち壊し令」またの名を「修験道禁止令」だったことに色濃くあらわれていた。

 この「修験道禁止令」よって、タダでさえ江戸の平安な300年の間に弱体化していた「金剛トラベル」は各地方の小拠点ごとに、あるものは神社として、あるものはお寺として生き延びることになった。

 ようやく1945年GHQによってGHQによってこの「修験道禁止令」が廃絶されることになるのだが、不思議なことにもはや、金峯山修験本宗,修験宗,真言宗醍醐派などの教団として復活しても、末端の営業所は、再び「金剛トラベル」を名乗るものは少なかった。この再改名しなかったということが非常に大事なポイントだと思わざるを得ない。名乗らずに組織としての連携は地下に潜ったままなのだ。

 超長くなってしまったが、以上が「金剛トラベル」の社史だ。

しかし、というか現代の「金剛トラベル(株)」(ああ、ビーダラちゃんがニライカナイ旅行の手配をした一部上場の会社だけれど)はこの歴史的な「金剛トラベル」と関係があるやいなやははっきりしなかった。

 ただほぼ200年忘れられていたに等しく、「修験道禁止令」が解かれたあとに再改名すらしなかった「金剛トラベル」や「陰陽師屋」が、飽食のこの時代になって、どうやら復活してきているらしいのだ。それは映画やアニメ、ゲームのキャラクターなどのいくつかを見ればはっきりわかる。原因をこういってしまったら元も子もない気もするが(つまりこの散文の主題ともいうべきものだから)それは「物珍しさ」「私だけだけが知ってる、気分」にささえられているのだろう。200年まったく忘れられていたことが幸いしたのだとおもう。
 
 Farewellビーダラちゃん(その4)ではビーダラちゃんがなぜ金剛トラベルベルにちかずいたのかを想像し(その5)は中世に「金剛トラベル」から分家し、一世を風靡しながらも邪道の商売としてののしられ焚書坑儒されてしまった。「邪道商売立河屋」を研究することによって、おもに「金剛トラベル」の密教的経営テクノロジー的な側面を探求するつもりです。
 

Farewellいってらっしゃいビーダラちゃん(その2)

 調べはじめると、「金剛トラベル(株)」の戦前の古い資料はみあたらず、「金剛トラベル」のならたくさんネット上にもたくさん資料があった。「金剛トラベル」の歴史は相当に古い。

 創業者はエンノオヅヌ、だいたいキリストさんの暦で700年代の人だ。いや、ほんとは人間かどうかもわからないのだけど、実在はしたらしいことが記紀に書かれている。

 葛城地方に生まれたらしく、なので、桂(カツラ)族か、(国栖)クズ族か、鬼(キ)族か、単純に桂の木族(山の民)だったのか、はたまた、葛(山の民)紀(海の民)、の混合を表しているのなのはかわわからない。紀州の木といえばクスノキ(樟)であり楠木といえば船の用材である。ちなみに、桂の木もアイヌ人はこの木に神霊が宿ると信じ丸太舟を作るのに用いている。

 いや「金剛トラベル」創業者のオズヌだが、漢字で書けば「小角」さらに「尾角」尾は鉱山開発民(穴から出た尾ある人は国栖と記紀でよばれている)角はやはり記紀に登場する渡来人で伝説のマジシャン青銅器ツヌガアラシト(角がある人)を想起させ、同一人物なら、この時代に早くもグローバルな資本家だったことが想像できる。

 彼は最初、鉱脈を見つけるために培った天文の知識、草木の知識、鉱石の知識を総合して、ドラッグストアを開業した。評判になったが飽き足らず、主に水銀を原料とする高級な「不老長寿薬」開発に成功した。当時の貴族ウケて、貴族とコネができ莫大な資金を手に入れ観光産業に手を伸ばした。

 ついには鉱山開発のノウハウを元に建設業に手を伸ばし当時彼が買い占めてレジャーランド化されていた、葛城山系の金剛山と吉野大峰を結ぶ空中大架橋工事を完成させた。(と記紀にある。とほほ‥)

 コングロマグリットして世の栄華を一身に集め頂点に登りつめたエンノオヅヌだったが、そこは諸行無常の響きありボロロ〜ンとなってしまった。最初の成功のきっかけを作った「不老長寿薬」の製造工程から垂れ流された水銀が原因で、蛭子が大量に生まれるという事態になり、いわゆる公害をまき散らしたカドで起訴され、財産没収の上、伊豆に流罪となる。(と記紀にある。とほほ‥)

 しかし、そこは伝説の「金剛山トラベル」創業者エンノオヅヌだった。彼のカリスマを慕う配下のものたちに向かって演説をこいた。
「『人生とはこうしたものだ‥‥とほほ』という事をこれからの時代には肝に銘じて学問しなければならぬ。その学問とは今中国ではやっている密教というものだが、どこが、今までの仏教と違い、また、それが私たち『金剛トラベル』の営業活動のためになるかどうかの鍵は、ヒンヅーの神々にある。仏教の本家大本であるインドにおいても、仏教は単なる個人的修養と成り果て力を失ったとの認識のもとに、人々ともっとダイレクトにエモーショナルにきり結んでいるヒンヅー教、シバ、ビシュヌ、ガネーシャ、ダッキーニなどの神々を取り入れようとした。いわば仏教のポピュリズム化が進みそれが中国にまで押し寄せて来て密教を生み出しておる。」

 マッそのようにして、そのように遺言してエンノオヅヌは冥界へと旅立った。

Farewellいってらっしゃいビーダラちゃん(その1)

 3月15日ビーダラちゃんは、ニライカナイへ向けて旅立った。サイゴの日を315‥ジョークで飾り、しっかり者のビーダラちゃん、3月14日ホワイトデーの贈り物はしっかり受け取った翌日旅立った。
 
 きっと今頃鎌倉大仏台座下のお母さんの子宮の中のような暗闇のなかで、サナギになっておこもりして(ああニライカナイ旅行では必ずオコモリしたあとでなければニライカナイに立ち入ることはできない)、ニライカナイで蝶になる夢見てるのかもしれない。ニライカナイには、ビーダラちゃんがどうしてもあわなければならない人がいるのだから‥‥‥

 あっ、そうそう、そういえば、先日冬眠から醒める際のお祭り「山焼き」(結局延期された)を見にきた林彪少年が、「3月15日って‥‥ぼくの誕生日だっ!」といった。えらいやっちゃ、世界最後の日に、人はみなサボテンになってしまうというのに、母ちゃんの子宮から暹道をくぐって、きっと縄文人面土器のような顔をして光の中へ顔を出したのだ。

 地球は温暖化してるはずなのに寒い冬だった。レイニーは雹になって降り注ぎ、重く垂れ下がった鉛の空のもと鳥取のジョニーは診察室と個室を往復し、ジョニーは男らしく浄化槽に立ち籠り瞑想し、美国人のゲイリーはミサキ様にであって風邪をひき籠り、湖畔の古都ではフランス生まれのチャーリさんが胎内瞑想に耽る。しかしシベリア育ちピーターは青空の下で直立したまま冬眠することが可能だった。ぼくは、電脳ボックスに立ちあらわれた幻のティッカーボードで点滅する数字と命を交換する。

 あっ、ビーダラちゃんのことだけど、ニライカナイへいくためのチケットを手に入れるのは昨今なかなか難しい。今年はニライカナイで初めてオリンピックが開かれるかららしい。で、めんどくさがり屋のビーダラちゃんは、いつもひいきにしてる「有限会社ありがた屋旅行」ではなくて、こういう時期なのでもう少し大手の(一部上場トップ企業で、ニライカナイ政府とコネがあるらしく、このごろ急速に業績を伸ばしてる)「金剛トラベル(株)」にすべての旅行をお任せして出かけた。

 「ありがた屋なんかと全然違うよ。一流企業なので、出発にあたって、壮行会というかパーティーまで用意されていて、ニライカナイのサボテンのお香がたいてあって、照明は幻想的な大きな焚き火、ニライカナイではやってるドラッグ(期待したんだけどテキーラの味のただのお酒だった)まわしながら、ゲストのマリックさんがショウをするの『私の右の手はボーイ、左の手はガール、この手を、ほら、こうして、合体させると〜っ〜アビラウンケンソワカ‥ヒラケゴマッ!』とかいっちゃって印をきるのよ!そしたらマリックさんが持ってた錫杖にぶら下がってた金の輪がバチーンってはずれて飛び散って、あれ、やっぱりタダのテキーラじゃなかったのかな〜集まったツアーの参加者の体から白い狐や黄色い蛇、黒いカラス、青い虎、赤い犬(オオカミかもしれない)が飛び出してきたの。おもしろかった〜」

 ビーダラちゃんは旅立って、(いやまだニライカナイにたどりついたかどうか連絡はない。ニライカナイは共産主義なのでかえってくるのが一番難しいという話は旅行社の苦労話として今回ボツにされてしまった「ありがた屋」の営業マンが話してたので、心配なのだが‥‥)しまったけれど、ぼくの日常はかわらない。

 ルーティーンに戻って電脳ボックスのティッカーボードで、急成長しているらしい一部上場の「金剛トラベル(株)」について調べてみることにした。