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2009年7月 5日 (日)

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 とりあえずはこの晩、久しぶりにマリリーの姉さんのオカミのレジデンスにご厄介になった。

谷間の唄?残念なことにぼくらのほうは比喩ではないリアルな谷間を翌日ほっつき歩くはめになる。・・・とほほ

 黒姫山は、刈羽郡高柳町にある。高柳町は1901年岡田村、岡野町、高尾町などが合併してできた。今はたぶん柏崎市に編入されている。

 ぼくらは、道順からいっても本来なら鯖石川の谷、旧高柳町の役場のあった岡野町から登れば楽に登れるのだが、復活したレイニーが裏から登ろうと主張するので、ぼくらの歩んできた人生を鑑みるに順当な選択なので、鵜川の川筋、清水谷から山に入った。

 順当な選択ではあったが、こちらからだと麓から登りはじめることになるので3〜400メートル清水谷の閻魔さんに見送られてからおよそ2時間の登山になった。山頂にはほこらがあり魚沼の巻機山、胎内山、八海山が遠望できた。

 ほこらの祭神はヌナカワヒメ(松社にも祭られている)、じつは頸城地方には三つの黒姫山が存在する。ひとつは越中にちかい青海町(西頸城)に、ひとつは信越国境(中頸城)の柏原に、そしてこの刈羽と東頸城郡境のここだ。青海には姫川があり翡翠を産する。列島の古墳などで発掘される勾玉のうち渡来以外のものはほぼこの地方産の翡翠が使われている。その翡翠の女王ヌナカワヒメにほれた出雲のオオクニヌシの求愛の歌が万葉集(記紀だったかな)にあったりする。

 天孫族に滅ぼされる過程でオオクニヌシの一方の息子タケミナカタはこの姫川川筋を敗走して諏訪湖に至り諏訪神となったことなってる。この国譲りの話しは古事記のみに記載されてる。

「ああ、諏訪社は全国に数多いけど、二ツ屋にもあったね。信濃川は諏訪湖に端を発すといえなかあないし・・・」
「ゲイリーはあそこで逢いたくない自分に出会ったらしい。」
「ふ〜ん、諏訪湖って列島にあいた大穴って感じあるもんなぁ〜鷹の湯の若女将よかったなー黒姫の生まれ変わりだったりしてね・・・名前はきけなかったけどきっと綾子さんだと思うよ。」
「二ツ屋はこちらから見ると信濃川の川向こうで魚沼だからね。しかし魚沼にも巻機山はあるんだ。マキハタヒメは黒姫だって説もある。」
「ぼくらの探索すべきは、ヌナカワヒメが祭られている山がなぜ黒姫山って呼ばれてるかだね。カラムシ→織物からはなれて別の解答を探ってみよう」

  蒲生から渋海川の支流を入ったところに室野がある。この集落にはヌナカワ小学校がある。ムロはムルに通じ海民の関係する地名だ。この辺りの集落は山の小高いところにある場合が多いけれど室野は川沿いにある。ヒヨットすると、古代には大きな池があったかも知れない。

 奈良の三輪山は、古来ミムロ山とも呼び慣わされている。そこは日高見族、ナガスネ彦と縁の深い土地柄だったはずだ。その時代、奈良盆地は湖だったはずだ。

 苗場7/25にフジロックで「忌野清志郎 スペシャル・メッセージ・オーケストラNICE MIDDLE with New Blue Day Horns」があるらしいけれど、魚沼から苗場を抜けて三国峠をこえれば群馬はすぐそこだ。

 群馬一の宮にはたしかヒメ神が祭られている。鉱山、足尾、安中近くだったような気もするし、群馬の養蚕も思い起こされる。群馬は海に関係ないだろうと思われる向きが多いだろうけれど・・・・利根川がある。霞ヶ浦がある。やっぱし最初は海だろう。

 ぼくらの問題にしている「あずまの国」にもし歴史書があったなら、その第一ページは’地球寒冷化の章’からはじめられていたと思う。

 日高さんの御祖先の日高見族や、ピーターの御祖先の高原山毛族や、丹族が群雄割拠する以前の話しだ。

 地球温暖化によって現在の関東平野は水没しており、その頃の海岸線は群馬では佐野のあたり、栃木では高原山の麓まで迫っていた。高原山毛族などは船で伊豆新島から黒曜石を運んでいた。ヌナカワヒメの翡翠もどのように列島に伝播されたのかは興味のあるところだ。

 そして地球寒冷化によって、あずま平野は姿を徐々に現してゆくことになる。

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