大穴と青空(1)
大穴と青空
しま田さんによれば、ゲーリーの「コリア留学はちまたの噂」にすぎないらしいというのだが、この件については、11月に兄貴は「コリアのミサキ様」とペニンシュラから戻ってくるというので、そのときにはっきりするようだ。
グラスオニオンの中でegg manことジョンレノンはFixing a hole in the ocean / Trying to make a dove-tail joint, yeah「大海原にあいた大穴を埋めようなんて、それは無理ってものさ」といっているyeah!
三井家の流れヨーコといっしょになったレノンは、竜宮城の在処を突き止めていたかも知れない。三井といえば三池炭坑だが、かの地は、古代物部氏(古代海民、安曇族とも縁の深い一族なのだ)の発祥の地といわれている。
物部氏は倭国の大乱の頃(2世紀後半)コリアのミサキ様の意向を受けて東に移動し、ヒノモト・ナガスネ彦と奈良盆地で協調して日高見国を作っていた。
しかし4世紀後半中国の争乱を受けペニンシュラで楽浪、帯方郡が滅びると、ペニンシュラに三国が形成され脅威が九州にも及びはじめると、九州にあった天孫勢力が東に移動を開始する。
物部氏と天孫族はともに金属器集団ではあるけれど、物部氏は青銅器(主に祭祀具)、天孫族は鉄器(武器、農、工具)という違いがあった。(現代に至っても物部氏の祭祀用具であった銅鐸はすべて地下から出土している。これは焚書坑儒と同じく天孫族の勝利をものがたっている。)
出雲や四国は最初に移動した物部氏の勢力下だったので、天孫族はこれを避けて、瀬戸内海を徐々に進み難波潟至る。しかし、難波潟の最奥、奈良盆地への通路、日下(クサカ・ひのもと)においてナガスネヒコと物部の連合軍に敗れる。(ああ、日下、クサカ・ヒノモトだけど物部氏がもともと九州にいたから難波、奈良盆地がヒノモト、日の出るところになるのであって、もともと奈良にすんでいたとしたら日の出るところはもっと東の地ということになる)
ナガスネヒコは難波潟の海運、其れから奈良盆地東南の山地(主に吉野など)から産出する水銀などがその勢力の基盤だったらしい。(これはコリアのミサキ様のご専門だけど水銀は中国では不老不死を得る最高の薬とされている)
一度ヒノモト・ナガスネに敗れた天孫族は、まず、奈良盆地西南、葛城山山麓に勢力があった古族、武内スクネ族とソガ族を懐柔したうえで、「ヒノモトを攻めるにはヒノモトから」つまり日の出る方向から攻めろ」紀伊半島を迂回して奈良盆地の東南から攻め、2度目にしてようやくヒノモト・ナガスネ連合軍を打ち破った。
この敗戦を期に物部氏は天孫族の配下となる。そして後に、ソガ氏によって滅ぼされることになるのだが・・・この間のいきさつは蘇我氏の全盛期に造られた庭園「嶋庭園」、のちに草壁・クサカベ親王(日下・クサカ・ヒノモト)の庭園となるのだが、「嶋庭園」の奴隷に数多くその名が見えることでも知れる。
また、ナガスネヒコはもともとの勢力基盤だった東国に逃れ、毛族(ピーターのご先祖、石の神)や東北のアベ族と連合し日高見国を名乗ってゆくことになる。
結局今回は、大穴にも青空にもたどりつくことができなかったけど、以上は「大穴と青空」研究の前史になるのだ。


寒くなりますた・・・とほほ・・・
有吉佐和子の大河小説「鬼怒川」読みました・・・
その黄金伝説・・・
古代物部一族が藤原一族になったのでしょうか・・・
藤原鎌足は神官・・・
仏教を導入した蘇我一族を
「大化の改新クーデター」で滅亡させますた・・・とほほ・・・
一説によると
「退化の改心」で支配者に再度、よみがえった
藤原一族(物部一族)はそれ以降
日本の支配者だそうです。
現在も京都のかたすみでひっそりと
生活しているそうです。
第二次世界大戦、京都が空爆されなかったのは
連合軍が日本文化を守るためではなく
日本の支配者(藤原一族)が
世界権力に「京都は爆撃せばからず」と
話をつけたからだそうでありますだ・・・
物部一族の復讐こそ
「大化の改新」であり
藤原鎌足は物部一族でありますた・・・
「道教とものづくり」これが
日本の基層でありますだ・・・とほほ・・
「もの」とは「在る」であり
イスラムの「アル」でもありますだ・・・
蘇我一族は「百済」からやってきた
騎馬民族でがんすが
物部一族は
中国からやってきた
「黄巾」の一族ですだ・・・
朝鮮騎馬民族よりもはやく
日本列島に移住した道教の一族ですけん
「道教とものづくり」が
日本の基層となったですけんの・・・とほほ・・・
日本の仏教も道教的でがんす・・とほほ・・
鮭は生まれた場所へと海から戻る
流れに抗して、逆流への泳ぎ
川の石にこすれ傷つき、
生まれた場所へ帰還する「本能」の道教へと・・
この「退行」と「遡上」こそ
日本の現代的テーマですだ・・・とほほ・・・
投稿: ピーター | 2008年10月30日 (木) 22時02分
フツウぼくら頭にあいた二つの穴を通してしか青空はみられないと思てっる。
でも、なんとか心の目とまではいわないけど、せめて毛穴とか鼻の穴とかを通して青空眺めることができたらいいなあ。
黒岩さんの説は魅力的だね。道教の影響については、福さん彦や吉野裕子さんが色々書いてるね。
で、秘密結社黄巾一派は、世界謀略論によると、チリジリになった「ユダヤの失われた10氏族」の一派だったりするんでしょ。
中国の古代史にもうといしさ、ぼくはぼくなりに、地名語呂合わせの大家、谷川健一さんのご本に導かれて以下のように考えてみることにした。
学校では、朝鮮半島に中国の植民地帯方樂浪などがあったが、中国の支配力が弱まって、半島に独立の機運が高まり、三国(高句麗、新羅、百済)が誕生した。しかし半島の最南端には任那という地域があって日本の植民地だったと教わるよね。
でもこく素直に考えたら、任那の植民地が北九州ににあったというこじとゃないの?(ピーター説でも中国の植民地ということで考え方の方向は同じだよね。)
で、植民地の中国の影響下から逃れたいもの、また、三国の争いではじかれた集団が北九州に半島から難民として徐々に流れ込む。
玉突き的に北九州の邪馬台国連合の一部分は西へ移動する。これが第一波の物部氏の移動。
本国の任那が三国に飲み込まれる事態になったので、邪馬台国の本体(天孫族神武東征)が移動する。これが第二波。
2度にわたって2世紀くらいを隔てて、北九州の勢力が東に移動したって所が、今回の眼目なんだよ。
あっ、それから記紀に書かれてる言葉をそのまま援用して「毛人」呼ばわりしてごめん。マッ、そう語ってる倭も見下された名前だしね。クズ、エミシ、みんなひどい言葉だね。ピータのご先祖は自分たちのことをなんて名乗ってたのか今度教えてよ。
そうそう、だからナガスネヒコは自分たちのことをなんと名乗ってたんだろうってコトになるんだよ。もともと奈良に住んでいたナガスネヒコが自分たちをクサカ(日下・ヒノモト)と名乗るわけはないと思うんだ。九州から畿内を日の登る方向と感じてた者、物部氏が、目指す場所に勢力を張るナガスネヒコと連合してはじめて、その地をヒノモトと呼んだんじゃないかと思う。
そして、第二波の天孫族はそのヒノモトという名を奪っちゃったわけよ。
敗れたナガスネヒコの氏族は東国において、一部は熟夷、天孫族の先兵となり、一部は荒戎となって天孫族と対抗した。だから、日高見国伝承やヒノモト伝説が東北の雄、アベ氏などに色濃く残ることになる。
物部氏が畿内に来たときすでにそこはナガスネヒコの勢力圏だったように、東国は毛人の世界だったし、東北はミシハセ、ギリヤーク、エゾの世界だったわけだよね。
なんだかつまんない話になっちまったなあ〜
投稿: ダニー | 2008年10月24日 (金) 19時05分
黄巾の乱
漢帝国を滅ぼす「黄巾の乱」
どうやら道教の秘密結社だったらしい・・・
「黄巾」の一族が海を渡り九州にただりつく・・・
やがて邪馬台国を創建するのだが・・・
これが「幻の邪馬台国」である。
吉永小百合様・・・
黒岩重吾「卑弥呼・邪馬台国」
日本の基層とは「道教」である・・・とほほ・・・
「大穴と青空」
穴からしか青空は見られない・・・
おらの先祖は「毛族」だった・・
しもつけから10月の風がふく・・・とほほ・・・
投稿: ピーター | 2008年10月23日 (木) 20時53分