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2008年4月20日 (日)

青トラホテル÷イフターム・ヤー・シムシム!(7)

 今回書くことのおおくは「ヤマトの誕生と神々 三輪山のむかしばなし」田中八郎著に教えられたことである。と最初に書いておこうとおもう。それに、この本で書かれているミムロの神とミサキ様は遠縁のような気もするし・・・ともかく

 奈良盆地からこの列島の歴史(教科書的な意味合いで)が開始されたことに、漠然と「なぜ奈良盆地からだったんだろう?」という疑問があった。記紀がこの地でものされたからということはあるにしても・・・なぜ、奈良で記紀がものされたかという疑問が残る。
 王権一族はもともと奈良から発生したのか?記紀の神話が「天孫降臨、国神からの国譲り」を軸として取りまとめられているのを読めば、答えは否だ。
 
 でも、なぜ王権一族は、なんで他所から奈良にやってくる必要があったんだろう?なぜ神武東遷神話は奈良盆地争奪の話なんだろう?そんなミリョクが奈良盆地の何処にあったんだろ?
 そう考えてみると、王権予備一族がやってくる前の奈良には、それ以前、何らかのかたちで、列島各地に影響力のある権威があり、その権威を乗っ取ることが列島を支配することにつながると王権予備一族が考えたからなのだろう。そしてそのもくろみは果たして達成されたのだろうか?
 
 奈良盆地といえば、あおによし、まほろば、西暦708年に造営の宣言がだされた平城京を思い出し、なんとなく、奈良盆地のど真中に作られているイメージがあったけれども、実際は盆地の北のほうに位置している。盆地を囲む山並のなかでは北の岡(なら坂)が一番低く、そこを越えたところは木津川の川原だ。川ではなく峠から川までの6キロのあいだに平安時代に作られたヤマトと山背の国境はある。田中八郎さんは、なぜ、ヤマトと山背を別ける結界が自然地形境界の木津川ではないのか?と問う。
 
 「青丹よし」は奈良や国内(くになか)にかかる枕詞で、青丹という顔料が奈良でとれたことから来ているとする説があると広辞苑に出ているそうだけど、万葉集での用例をしらべると平城京が設置される以前から使われている。

 まほろばは、「倭(やまと)は国のまほろば たたなづく青垣山籠れる倭しうるはし/古事記(中)」ヤマトタケルの望郷の念を歌った歌とされる。ヤマトタケルといえば「白鳥伝説」、「たたなづく青垣山籠れる」<籠る>といえば、子宮か穴かムロということになるのだけれど、それらの意味を込めた奈良盆地ということになるのだろうか。

 奈良盆地の中央には大和川が流れていて、盆地を取り囲む東西南北の山々に端を発す無数の支流を集め(この合流地点に広瀬神社がある)一筋の奔流となって盆地西側の生駒山の南、二上山の北に位置する亀ノ瀬渓谷から河内平野(古くは河内湖)に流れ出している。
 
 では、弥生時代(キリストさんの暦で紀元前4〜3世紀から3世紀) この盆地中央には何かあったかというと、弥生環濠集落(唐古・鍵遺跡)があった。この弥生環濠集落は弥生前・中・後期を通じて消長しながら、古墳時代前期に入ると消滅している。その後古墳時代後期、中央部に前方後円墳が作られている。

 唐古・鍵遺跡の消長は、列島一の地滑り地帯といわれる生駒山南嶺の土石が二上山北面の堅いサヌカイトに阻まれ亀ノ瀬渓谷を塞ぎ奈良盆地が湖水化し、しかし、湖水の量が増えると亀が瀬渓谷の土砂が河内平野に流れだし再び平地化する。

 つまり盆地中央部は弥生時代〜古墳時代後期にかけて周期的に湖水化したわけだ。

 そして近代になって鉄道が敷かれる時代になってもそのルートは盆地のすそ野を一周する形になっている。

 ここまで、「盆地の東西南北」とかってに言ってきたわけだけれど、その基準線は、いまは竹内街道といわれている東西の道、西の二上山南端(その西は河内平野)から東の三輪山(そのさらに東は宇陀、都祁)を便宜的につかっている。20年くらい前にその道の西端、竹内峠というところに青トラホテルの支店があって長泊したことがあったからだ。

 この辺りを葛城地方という。ボクはミサキ様に紹介されたニギハヤイのお友達、ここらで生まれた長脛彦に案内してもらって、高鴨神社や竜田神社や広瀬神社を見てまわった。「金剛トラベル」の始祖エンノオヅヌもこの地方の出身だというので、オヅヌが吉野まで空中架橋したのは、二上山なのか葛城山どちらだろ?などと思いながら2つの山を登ってみたけど、なにもその痕跡は見つけることができなかった。でも、登山の途中でスクナヒコと一言主にはあうことができた。

 で、しょうがないので、奈良盆地を挟んで葛城、二上山に対面する三輪山(ミムロ山)辺り、山辺の道を歩くことにした。
 
 二上山と葛城山の間から始まる竹内街道の東端、三輪山(ミムロ山)山麓から、途中、箸墓古墳、石上神宮の前などを通りながら、奈良市(若草山方面)の春日大社に向かって北行している道があって、現在は「山辺の道」といわれている。
 
 しかし「ヤマトの誕生と神々 三輪山のむかしばなし」田中八郎氏は本来の山辺の道とは盆地東の竜王、纏向、三輪山(ミムロ山)山塊の奥地、宇陀、室生、都祁(その先は丹生)と奈良盆地を結ぶ幾筋もの道が本来「山辺の道」といわれるべき道なのではないかと書いている。

 それから奈良盆地といえば思い出される多くの古墳群だけれど、それら古墳も、ほぼ盆地を囲む山裾に存在している。しかし、三輪山(ミムロ山)南から長谷に遡るあたり一帯には古墳が存在しない。

 盆地の東、三輪山(ミムロ山)の北西の地域を纏向地方というのだが、纏向には運河(水路)が掘削されて祭祀決済で運営される纏向市場というものが開かれいたという。そして、その後、そこには、「この古墳の出現をもって古墳時代の開始」といわれる箸墓古墳が出現した。(3世紀後半から4世紀始めに作られたとされ、同時期の古墳としては、岡山、湯迫車塚古墳。兵庫、吉嶋古墳。京都、元稲荷塚古墳や椿井大塚山古墳がある)

 「ヤマトの誕生と神々 三輪山のむかしばなし」田中八郎著を読みはじめると、平城京の新来王権は、自発的、計画的に遷都(恭仁、紫香楽、浪速、そして最終的に長岡、平安京へと)したのではなく、奈良盆地の「古族」に追放されたのだ。というあたりから始まっていてはまってしまった。新来者は箸墓古墳を作った集団であり平安京へと追い出される、この時期でいえば王権予備集団とでもいうべきものたちである。「古族」とはもともと奈良一帯で暮らしていた人々たちだ。

 「古族」というのはボクの表記であって、田中八郎さんは「ミムロの神」=「縄文族」という書き方をしていて、彼らは、もともとミムロ(この場合は竜王、纏向、特に三輪山<ミムロ山>山塊の奥地、宇陀、室生、都祁<その先は丹生>から産出する「真土(まね)辰砂」<水銀>をもとめて大和川の水路づたいに列島各地からやってくる人々と、ミムロの麓の纏向市場で交易していたという。その交易者に混じって王権準備族もこの地に新来してくることになる。

 纏向市場の交易の形態は祭祀決済というもので、もともと、それを仕切っていたのがオオモノヌシ(ミムロ神)だったという。纏向の祭祀跡遺跡からは列島各地の祭祀用具とおもわれる、意図的に壊されたとおもわれる無数の土器の破片が出土する。

 「決済の結果に不満を持つものは限りなくあり続けるもんだす。『きんの(昨日)の決済は白紙に戻せ、やり直しだ』『十日前の決済例とあまりにも違い過ぎる絶対に承知できん』こんなトラブルへの対策が、一事不再審だした。つまり一度決めたことはやり直しできない方針だす。そして、それを目に見える形で公示したのが、土抗の穴へ祭祀用具を廃棄することだんえがな。取引決済の祭祀場を破壊して、決定事項の見直しは不可能であることを強調したのが祭具の廃棄だっせ。アミニズムの神である決済者は、いかなるところにも常住しまへんやろ。祭祀場が設営されたときにだけそこに飛来して、祭場がなくなれば帰りまんがな。祭祀場がなくなれば神は居らず、決済のやり直しは不可能という仕組みでおまんな。」
 
 その後、弥生族のなかの王権予備一族は武力を背景にしてこの市場を徐々に乗っ取ろうとする。ぼくが田中八郎さんがすごい!とおもうのは以下の文でも、およそ4つから5つの勢力を想定していることだ。それに、王権の発生を商売(交易、交通)から解き明かしてるなんて!

 「纏向市場は、市庭とも表現するように、交易の決済方式が神の裁定にゆだねる祭祀決済であったことはすでにわかりましたやろ。この神が、纏向を統治するオオクニヌシであったのも素直な成り行きだした。大陸商人がいかに強力であったとしても、決済神を持ち込むことはありまへん。そんなせせこましい細工をしなくても、海外交易の性質からいって利益は巨額であったからだす。ところが決済神を乗っ取ろうとするものが出てきよりました。そのものは地元勢力でありオオクニヌシを競争相手とする立場でしたな。市場での取引量が大きい新興勢力であり、宇陀・都祁の辰砂に次いで有力商品である穀物と鉄とを扱ったとおもわれま。彼らこそがヤマト王権への道を歩んでいく勢力だったんだす。」p111
 
 具体的には王権予備一族は決済神としてアマテラスを送り込む。かれらは纏向でおこなわれていたオオクニヌシの祭祀決済場とは別の祭祀決済場として箸墓古墳をはじめとする同一設計の前方後円墳(石塚・谷津か・勝山・東田大塚)を纏向につくっていた。

 「書紀によると三輪山麓の瑞籬宮(みずかきみや)と呼ばれる崇神天皇の屋敷で、オオクニヌシと天照大神は崇神の奉仕を受けて同居していたんだす。ところが、崇神紀六年に同殿共床を止めて、崇神が天照とオオクニヌシを放逐したとありましょってん、それまでは三者が共同して事業にあたっていた証になってま。その事業とは祭祀決済やったんだす。」p112

 このころが三つの勢力のなかで王権準備族が抜け出した時期であり、その背景には、以下のような農業振興と鉄器(武器)があったとする。そして祭祀決済を利用した勢力の拡大も必要なくなると(つまり農業と武器で勢力を十分に拡大できるようになると)、纏向のオオ市と石上のフル市は西暦350年頃には三輪山南麓、海拓榴市新市場へと移っている。

 「大量の土を採取し運搬し構築する作業や技術や道具は、少し計画性を加えれば、土取の跡地はちょっと工夫するだけで畑になり、ちょっと丁寧に工作すれば、水田んになるのでっしゃってん、古墳作業と農作業は親戚近所付き合いの関わりでおましたんや。」p109

 もともと「ヤマトの誕生と神々 三輪山のむかしばなし」田中八郎著という本に興味を持ったのは、「ムロ」について書かれているからだった。

 ムロについての興味というのは、牟呂郡という地名のが漁民信仰で有名な青峯の観音のある三重県志摩や、那智の滝で有名な青岸渡寺(ここは奈良制圧に失敗した神武が海を迂回し八咫烏に先導され東から再び奈良を攻めた伝説の古地)和歌山県熊野あたりにあって、また、四国の室戸岬はもちろんミサキ様の故地でもあるけど「金剛トラベル」がその昔「海の巡礼ツアーを開始した場所、いまでもお遍路さんなかっていわれてるけど、ムロと海の関連についてだったのだ。ボクの感じとしては、ムロは山の名前にもよく使われてるので、漁民の山アテ(漁場の目印)に関連するのかしら?とおもってた。
 
 それから、奈良盆地を挟んで三輪山と西に対面する二上山麓の葛城地方最大の古墳は宮山古墳で「室の大墓」とよばれている。だいたい、ムロには「穴」がつきもんだ。イフターム・ヤー・シムシム!

 田中八郎さんによれば、ぼくが海や船とは関係ないと思い込んでいた奈良盆地の三輪山山塊を「ミムロさん」と纏向辺りの人々は呼んでいるらしいのだ。そして、ありがた屋旅行社企画「ニライカナイ信州篇」<この列島にケルトの魂を発見してみませんか?>でゆく、諏訪の長谷村にもムロはあった。

 消えた河内湖または奈良盆地の湖→大和川(泊瀬川)を少し遡ると長谷だ。その奥には宇陀がある。ウラじゃないけどね。伊那のほうも、諏訪湖→天竜川(三峰川)まず山室があって(美和湖もあるね)、長谷があって、その奥が浦だ。この浦で薙鎌が見つかった。

 「ヤマトの誕生と神々 三輪山のむかしばなし」田中八郎著
 「ムロの所為(せい)やと思いまんな。味噌や醤油やお酒ができるように調節した部屋をムロといいまっしゃろ。室ゆうのは、気温や温度や気候で自然に在った環境を、人の手で操れる程度にちんまりと雛形化したもんが始まりだっしゃろ。大和には、自然の地形で酒や味噌ができる環境と気象があったんだす。それでムロという処があちらこちらにありま。ムロは変化をかもす空間だんがな。大和自体がムロだす。酒もできました。国もできました。人を狂わす妖気もできたんやとおもいまっせ。ヤマトのムロの大元締めで在るミムロ山にだんだん近づいてきまっしょってん、あんさんも、心して歩いとくんなはれ。」

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コメント

 イフタームシムシム(ひらけごま)で取り上げている三輪地方ですが出雲とも関係の深い地方ですね。 

 出雲の方だと、三保に青柴垣の神事というものがありますね。エビスさん(コトシロヌシ)の水葬の儀式、死の国、他界旅行の話でしょうか?

 三保というと三保の松原を思い出します。こちらは羽衣伝説で天上界ですね。
 
 死後の世界と生まれてくる前の世界は同じ場所なんでしょうか?

 青垣、こちら青空探検隊ですから、青について吟味しなくてはなりませんね。

 キリンさんから質問されたので少し調べてみようと思います。今かきはじめタばかりの「穴と青空」にすこしづつ書いて行くつもりです。

 もし、垣の方に興味がおありでしたら、額田巌さんの「垣根」というご本に詳しいです。

 「穴と青空」は谷川健一さんの「常世論」がタネ本になるはずです。

 

 その青垣山というのが出雲国風土記の母里郷(島根県安来市)の地名説話でみられるが、そもそも青垣とはなんなんだろう?

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