Farewellビーダラちゃん(その6)
そんなわけで、ぼくは、ビーダラちゃん‥ずいぶん昔から、いや、生まれてからづっとかもしれない‥‥‥ニライカナイに興味があったんだ。と思うようになった。
ひさしぶり兄貴からメールがあった。兄貴のトニーは長期滞在してるブラジルで、マリーナっていう若い映像作家と協力してドキュメンタリーに取り組んでいる。マリーナと兄貴がうまくやってることが微妙にビーダラちゃんの不安定と関係してたかもな〜
ビーダラちゃんはニライカナイ旅行壮行パーティーでだされたサボテンのお酒(ニライカナイのテキーラはメキシコのテキーラと違って蒸留酒ではなく発酵酒なのだ)のことをすごく気にしていたのだ。
「おはよ、先日、儀式における「お酒」の意味にについて、エクスタシー、ヒョウイを与える力(ギリシャのディオニュソスなんかをイメージして)のようなことを書き送りましたが、少し訂正です。この島国一般の儀式にお酒がつきものなのは、その儀式を一般化していえば、「死と再生」変生の儀式という側面があるからのようです。お米を、いったん腐らせる(死)エクスタシー(超能力)を与える酒として(再生)する。ということでしょう。似たものに蛇、脱皮(死)、毒(人を殺せる超能力)を持った蛇として再生。青虫、サナギになる(死)蝶(空を飛び回る能力、美しさ)として再生。そして人間の場合(どこから来てどこへ去ってゆくのかという)には、サナギの形態や繭などのようなものを、胞衣や子宮として想定していて、深いところで関係しているとおもわれます。
つまり、その再生に向けて闇の中で(仮死または冬眠、または子宮内の至福)の期間が想定されているのです。」
しかし、ビーダラちゃんのお酒へのあの極端な傾斜はいったい何んなんだろう?「おさけやめよっかな〜」と時々言い出すのはその裏返しで、実は今回のツアーも「禁酒のきっかけになれば」という思いがビーダラちゃんにはあって、あったにもかかわらず壮行会に出向いたら、いきなりテキーラがまわされた。その理不尽さがどうしても気になってショウガナイということらしかった。そんなのビーダラちゃんにしか通用しない理不尽なのにもかかわらず‥‥‥
考えれば考えるほど、お酒は結局ビーダラちゃんにとっておっぱいなんだって気がしてくる。
問題なのは、お酒はビーダラちゃんにとって<お母さんの乳房>ではなく<単なる乳房>だったんだということだ。生まれたてでこの世で知ってるものは暖かく愛情深い絶対とも宇宙ともいえるおっぱい、だけど生まれて一月もすると、ときにはそのおっぱいは、人格をともなって<お母さんの乳房>へと変化する。お母さんの体調や気まぐれによって出なくてイライラさせることもある。ビーダラちゃんのおっぱいはうぶなおっぱい<単なる乳房>であって、両面を持つ、人格としての、最初の他者としての<お母さんの乳房>ではなかったんだ。
そういえば、ビーダラちゃんは二戸のお母さんについて多くを語らない。ただ「複雑なのよ〜」とだけ‥‥‥‥‥ただ、ぼくが思うのはビーダラちゃんのお酒は「複雑なのよ〜」というような理性的な理由付けとは意外にかけ離れたところと、ビーダラちゃんの普段意識にすらのぼらない原風景ときり結んでるような気がするのだ。
きっと、それと同じセンスで今回のニライカナイ旅行は生まれた時からビーダラちゃん能味噌に指令が書き込まれていたかもしれない。
また、仮にそうならビーダラちゃんはお酒に絶対的な愛を求めているのだということになる。だから時々禁酒宣言したりする。逆説的に絶対的な愛を失いたくないがために‥‥お酒はそういう意味で絶対的な愛(理性のレベルを超えた)なのだから、そのお酒の席でお酒によって絶対的な信頼が裏切られると(ビーダラちゃんにとってお酒は単におっぱいなのだから必ずお酒に裏切られるに決まってるのだ)手の付けられない疑心に苛まれ鬼神と化す。
そう考えると、あんなに仲のいい二人なのに、兄貴の悩み「あいつのあのかたくなさは何なんだろう?」は、ビーダラちゃんの兄貴によせる絶対的信頼の裏返しかもしれない。
でも兄貴は南半球で、あいかわらず・・「死と再生」とかいってる。ああ、なんだかビーダラちゃんがほんとにいとおしく思えてきた。


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